50のオババが見つけたこと

自己啓発本、ビジネス本、心の話が大好きな50代主婦の日々の気づきを書いています。

仕事辞めたい

仕事辞めたい


→気が滅入る仕事なら辞めちゃおう!



私には「仕事を辞めたい」と言い続けながら、

辞めることを決断できないまま8年が経過している友人がいる。

彼女の職場は中堅どころのスーパーマーケットで、

彼女はそのスーパーの総合受付している。

お客さんの苦情や諸々の細かい事務作業をする仕事をしているらしい。

 

彼女はとても手先が器用で、

カーテンやソファーカバーや自分の服など、

どんな物でも手作りできる人なのだが、

本人曰く「事務仕事が、からっきし苦手」らしいのだ。

 

総合受付の仕事のほとんどは事務仕事なので、

毎回出勤する度に憂鬱な気持ちになっているとのこと。

苦手なことをするものだから、ミスも多く、

引継ぎで入った同僚から必ず後日ダメ出しを受けるらしい。

そして増々、自信をなくし、気分が滅入ながら出勤しているというのだ。

 

私はそんな彼女の愚痴を8年前から聞いている。

その度に私は「そんなに苦しいなら辞めて違うパートを探せばいいじゃん」

というのだが、

毎回彼女は「でも、次の職場の環境がいいとは限らないから怖くて辞められない」というのだ。

 

実はそのスーパーの受付の仕事は、

スーパーがオープンした時に求人があったこともあり、

時給が現在と比べて400円ほど違うらしいのだ。

つまり、今彼女と一緒に同じ仕事をしている後から入ったパートさんは、

同じ仕事をしているのにも関わらず

(むしろ彼女ほどミスをしない分、彼女以上に仕事をしている?)

400円ほど安い時給なのだという。

 

転職に踏み切れない彼女の主張は、

転職しようと求人は見るものの、ほとんどの会社の時給は、

今の彼女の時給より安いものしかないとのこと。

時給が下がって、環境もよくなかったら目も当てられないから

転職する勇気がないといって、今現在もストレス頭痛を抱えながら働いている。

 

一方の私はというと、彼女が怖がって転職できないでいる間に、

パートを転々としてきた。

転々としてきたと書くと聞こえは悪いかもしれないが、

私は自分の決断に後悔はない。

 

今までに経験してきたパートを書くと、家事代行5年、デイサービスの調理3年、

老人施設の調理補助1年、デイサービスの事務1ヶ月、音楽教室の受付1ヶ月、

英会話教室事務3ヶ月、コールセンター3年、

そして今現在は保育園の調理補助2年目というように働いてきた。

 

2種類の仕事をかけもちしていた時期もある。

この様に列挙すると、まるで私が、どこの仕事も長続きしない、

飽き性のだらしない人物のように思われるかもしれないが、

家事代行は5年続けていたし、コールセンターは派遣法で3年以上は

勤められなかったからだ。

 

しかし、ディサービスの事務では、私が生まれてはじめて出会った級に

ひどい上司いたため(おそらく彼はサイコパスなのではないかと思ってる)

1ヶ月で辞めた。

 

音楽教室の受付は、17時~21時という時間帯が自分には合わないと思い辞めた。

(みんなが帰宅する頃に出勤し、日中には暇を持て余すことが判明)

 

英会話教室の受付は、上司がペルー人で、英語が話せる環境に憧れて入ったが、

勤務先が恵比寿だったため、山の手線の満員電車に耐えられなくなって辞めた。

20代のOLの時も渋谷に通っていたが、50代の私には通勤に片道1時間かけて、

満員電車に揺られて勤務することのメリットはないと思ったのだ。

 

デイサービスの調理は案外と楽しかった。

15人~20人程度の老人達にお昼ご飯を作るのだが、

ちょっとした大家族の料理と思えば、慣れればなんとかなるものだった。

はじめは調理の仕事なんて、とバカにしていたようなところがあったが、

「今日のご飯、おいしかったとご利用者様が言ってたわよ」など、

介護士の人にフィードバックされると、とてもやりがいを感じた。

「調理の仕事は大変なこともあるけど、クリエイティブな仕事で楽しいな」

と思うようになっていった。

しかしそのディサービスがクローズになり辞めることとなった。

 

次に務めた老人施設の調理補助をした時には、

調理済のものを、ただ盛り付けるだけの作業が中心だったので、

クリエイティブなところがまるでなく、衰えていく老人達を目の当たりにしていくことにも耐えられなかった私は1年でそこを辞めてしまった。

 

このように仕事を転々としていくうちに、

私は、自分に何が向いていて、何が向いていないのか、

どんな環境がよくて、どんな環境が嫌なのかがはっきりわかってきた。

 

私が職を転々とするうちにわかってきたことは下記の通り↓

 

私はどんな形でもクリエイティビティが発揮できる環境が好き

夜の仕事は気分が滅入る

老人に囲まれる仕事も気持ちが落ち込む

クレイジーな上司がいるところは絶対にアウト

通勤時間が長い、満員電車は避けたい

仕事は大変でも、人間関係のいい職場はよい。

 

こういうことがわかってきた。なので、わたしは、どんなに時給がよくても

自分に合わない環境なら辞めた方がいいという結論にいたった。

 

今現在はどうなのかというと。

保育園の調理補助の仕事は、ディサービスの調理の時のように

全部任されて調理をするわけではないので、

クリエイティビティはそれほど発揮できないが、

 

手作りをする

通勤時間30分

人間関係良好

老人と違って子どもは成長する

朝は少々早いが(8時~)14時には帰れる

休みが取りやすい

 

パーフェクトではないけれど、ほぼ、私が望む環境で働けていると思う。

 

スーパーの受付の仕事を辞められないでいる私の友人の時給は、

私の時給よりかなり高い。

も、生活の満足度では、もしかしたら私の方が上かもしれない。

 

望む環境は自分で見つける。それには

「次のところは、今いるところよりも もしかしたら悪いところかもしれない?」

というリスクを受け入れ、動いていくしかないと思うのだ。

 

みなさんは自分が望む環境がわかっていますか?

 

もしかしたら夜に働く方が合っているのかもしれない

大人数でやる仕事よりも一人でやる仕事の方が向いているのかもしれない

どんなに仕事がきつくても、とにかく時給が高い仕事がいいと思うのかもしれない

などなど、人によって好みの環境は違ってくるでしょう。

 

さあ、今の仕事が憂鬱ならば、動き出してみよう!

暇すぎて何をしていいかわかりません


暇すぎて何をしていいかわかりません


一番大切なことは一番最初にやろう




私は2ちゃんねるを作った「ひろゆき」が結構好きだ。

 

仕事から疲れて帰った後に、

彼のYouTube動画を聞きながらゴロンと横になることが、

最近の私の日課になっている。

 

聞く度に、「今日も毒舌だなぁ」と感心するのだが、

引きこもりがちな人や、精神疾患を持っている人達からの悩みに、

毒舌ながらも、的確なアドバイスをしているところが、

聞くのをやめない理由でもある。

 

今日聞いた話も興味深かった。

 

「暇すぎて何をしたらいいかわからない」

という大学生に対して、

ひろゆきは、かつて彼が見たという どこかの学校で行われた授業の話をした。

 

その授業は理科の授業か道徳の授業だったか(私が)忘れてしまったが、

授業で教師は、生徒の前にガラスの器を出し、まず大きめの石を入れた。

次にその器に小石を入れたところで、先生は生徒に問いかけた。

「この器にこれ以上何かを入れられると思いますか?」と

ほとんどの生徒は(もう入らないだろう)と思っていた。

するとその教師は砂を入れて見せた。

ガラスの器が隙間なく満タンになったところで、

また教師は生徒に問いかけた。

「これ以上何かを入れることは

できますか?」と、

ほぼ全員の生徒が(さすがにもうムリ)と思ったところで

教師は水を入れて見せた。

こういう授業だったらしい。

 

ひろゆきは言った。


「ここで面白いのが、

ここで伝えたいことは

『無理すればいくらでも

入る余地はあるよ』ではなくて、

『大きい石は、一番最初に入れないと入らない』だよ」と、


「みんな学校を卒業して、会社に入ったりすると、無理やり頑張って仕事や予定で自分の人生をぎゅうぎゅうにしてしまうよね。

だから、大学生のように、時間が有り余っている時にこそやりたいことや試してみたいことをやってみるべきだ」

と話していました。

 

いつも毒舌だけど、いいこと言うよねぇと、すっかり今日も感心して 聞き惚れていました。

 

レベルは違うかもだけど、

私は、食べ物では

「好きなものから食べる」派です。

一番お腹が空いている時に、

一番好きなものを食べたい。

お腹が空いている時だと 

がっついてしまって、

味わって食べられないのではないか?

と思う人もいるでしょう。

でも、そうでもない食べ物で

お腹が膨れた後に、

好きなものを食べたのでは、

好きな食べ物の味を十分に味わえないような気がするのです。

 

パートの有休休暇も取れる時に、

どんどん取ってしまいたい派です。

 2年間で有効期限が切れるという、私のパート先の会社の有休休暇。

このご時世、いつ何時 解雇を言い渡されるかもわからないし、

突然同僚が辞めることになったら、

休みが取れない月も出てくるかも

しれないし、

人生は何が起こるかわからない。

だから大切なことや やりたいことは、一番最初にやった方がいいと思うのです。

 

若いみなさんは、今はまだ 実感がないかもしれませんが、

「人生は有限」

一番最初に、おいしいところ、

やりたいこと、

大切なことにズバッと切り込んで

いきましょう!

 

習い事が続きません


習い事が続きません


何も目指さない ~だから単純に楽しめる

 

みなさんは、何か打ち込んでいるものはありますか?

もしかしたら、資格取得に向けて頑張っている最中ですか?

 

私は若い時、「とにかく手に職をつけなくちゃ!」病にかかっていました。

ほぼ一年ごとに転勤する夫について引っ越していたので、

会社でフルタイムに働いてスキルをあげていくということができなかった私は、

何か資格を取って、どこに住んでいてもお金が稼げるスキルを身に着けなくては!と

常に考えていました。

 

 

実はその考えは転勤族の夫と結婚する前からありました。

そんな私がやったことは何かというと、

まず独身の頃に「フラワーアレンジメントの先生になろう!」と思い立ち、

OLをしながら、3年でディプロマが取れるというフラワーアレンジメント教室に

入学をしました。

 

月謝は高いのですが、授業で使われる生の花材は豪華で、

季節によって変わる花に囲まれたお稽古は単純に楽しかったです。

ところが、2年目ぐらいになると雲行きが変わってきました。

そもそもフラワーアレンジメントの様なセンスが問われる作業は、

習ったからといって誰もが上手にできることではありません。

もちろんある程度の技術は習うことによって向上するし、

習ってない人との差は歴然です。

でも、そこでアレンジメントの先生やデザイナーになろうとなると話は違ってきます。

最初の基礎の頃は差が出なくても、

結局のところ生まれ持ってセンスのいい人には勝てないと感じたのです。

 

自分にそこまでの素質がないと自覚した私は、

結局引っ越しもあったため最後まで通いきることをせず、

ディプロマを取れない状態で辞めてしまいました。

 

 

次に取り掛かったのは「簿記」でした。

私はもともと数字とか数学が大嫌いでした。

そんな私がなぜ簿記をやりはじめたのかというと、

きっかけは友達に誘われたからでした。

 

「簿記の資格を取っておけば、転職にも有利だし、

一緒に経理の専門学校に通わない?」

 

そう誘われた私は結婚が決まっていて、

遠方へ引っ越す予定がありました。

引っ越して転職することになったとしても、

資格があれば事務の仕事が見つかりやすいかも!

そんな軽い気持ちで夜のコースに通うことにしました。

 

数学が苦手なわたしでも、

商売の話が絡むと意外と授業は楽しく、

減価償却の計算方法など、興味深く聞くことができました。

 

実際に、結婚をした後も引っ越し先の専門学校に転校をし、

勉強を続けていました。

 

順調に簿記の2級を取得。

その後簿記の1級を目指している時に、

試しに会計事務所の事務に応募してみました。

結果は不合格。

「経験者求む」と書いてあったにも関わらず

挑戦したのもよくなかったのかもしれません。

2級ぐらいでは相手にされないんだな。

でもどこかで経験させてくれないと

一生経験者になれないじゃん!とがっかりしたものでした。

その後、すっかりやる気をなくした私は、

簿記1級の難しさにもやられ、

結局これも途中でやめてしまいました。

 

簿記の学校を辞めた後、次にはじめたのが「パッチワーク」でした。

趣味として教室に通うことにしました。

先生がサンプルとして持ってくる作品はどれも素晴らしく、

すると、また私の悪いクセで

 

「パッチワークの先生になりたい!」

 

という野望がムクムクと芽生えていきました。

 

そうなってくると他の生徒と比べるように。

(あの人の布の合わせ方はすごいな、それに比べて私は・・・)

(平凡な作品も先生のアドバイスでガラッと変わったな、

私にそんなことできるのかな?)とか、

まだ基礎を習っているうちから、

自分が先生になることを想定して勝手に悩みはじめたのです。

すると俄然レッスンがつまらないものになっていきました。

それに比べて、長年やっているおばちゃんの生徒達は

いつも呑気に楽しそうにしていました。

 

結局パッチワーク教室も、転勤による引っ越しもあって辞めることになりました。

以降、パッチワーク教室に通うことはありませんでした。

 

今にして思えば、私はそれほど数字が好きではなかったし、

あの時、万が一 会計事務所に受かってしまっていたら、

数字に囲まれた事務の毎日は

きっと幸せではなかったかもしれません。

向いてないことをやる毎日に苦痛を感じていた可能性は大いにあります。

 

パッチワークにしても、

私を教えてくれていた先生は、

最初から先生になろうと思ってパッチワークをやっていたのではなく、

好きで続けている内に技術が向上し、

気がついたら先生になっていたのだと思います。

 

何かをはじめては、途中でやめる私。

「続ける」「情熱を持ち続ける」のも才能のうちだなぁと痛感しました。

 

そんな私でも、何かを目指している間は、充実していたような気がします。

「この資格さえ取れば、きっとしあわせになれるに違いない!」

「今はこんなだけど、将来は この資格を持ってお金を稼げる私になってやる!」

何者かになれるに違いない幻想を持っている間は、

少なくとも不幸ではなかったかもしれません。

 

そして現在。「何者かになりたい病」に冒されていた私は50代になりました。

今から何かを目指して自分に投資をしても、

回収できる見込みがなくなってきた年齢になってしまいました。

人生100年時代になってきたのでわかりませんが)

 

すると、何も目指さず、やっていることそのものに集中すると

とても楽しいことがわかりました。

 

今楽しいのは、49才からはじめたドラムと、

53才になってからはじめたウクレレです。

ドラマーとなって世界を股にかけるミュージシャンになることも、

ウクレレ教室の先生になれる可能性も、かなり低いとわかっていると、

ものすごく気楽に、楽器や音楽そのものを楽しめるのです。

 

 

でも、だからといって若いみなさんに「何も目指すな!」とはいいません。

夢を描いて、目標に向かって挑戦することは、

決して無駄にはなりません。

途中でやめたとしても、今何も成し遂げてなくても、

過去の挑戦してきたことが全部、

今の私の一部として生きていると思っています。

 

そしていろいろ試した結果、

フラワーアレンジメントでもなく、簿記でもなく、パッチワークでもない、

ずっと続けて仕事のようにしているものがあります。

私は試行錯誤の上、自分に合わないものを見つけ、

自分にまあまあ合う続けられるものを見つけることができたのです。

続けていることについての話は、また機会があったら書きたいと思います。

 

時には何かをガッツリ何かを目指したり、

またある時は、何も目指さないで楽しんだり。

 

行動あるのみ!

 

結婚したい!


結婚したい!


とりあえず結婚してみよう! 

<人生に失敗はない!試行錯誤してしあわせになっていく>

 

 

私がパートをしている保育園には、25才の若い栄養士さんが

調理室の責任者として頑張っている。

 

彼女のお母さんはなんと私と同い年らしく、

私は高齢出産をしたので、自分の子どもはまだ10代なのだが

「本来なら私にも25才ぐらいの子どもがいてもおかしくないんだよね~」と思うと、

つい娘に対するように心配してしまうことがある。

 

つい最近のことである。それは月曜日だった。

彼女は調理室につくなり

「はぁ~、もう人生、何もかもがいやだ」

とため息をついて出勤してきた。

 

「何かあったんですか?」と聞くと、

「仕事もダメだし、プライベートも最悪だし、もう何もかもがいやになっちゃって」と

散々なコメント。

 

仕事もダメだしというのは思い当たることはある。

幼児の昼食の食器にラップの破片が混入していたのを

指摘されたことだと思う。

けれどプライベートは何があったのか?

 

「プライベートで何かあったんですか?」

「それが、プライベートで何もないから落ち込んでいるんです!」

 

どうやら彼女は4連休で何の予定もなく家にいたのに対して、

同い年の友達は彼氏との楽しい生活をSNSで挙げていたらしく、

それを見ていて自分の現状と将来が一気に不安になったらしいのだ。

 

そんな彼女の顔も上白石萌音ちゃんみたいに可愛くて、

当然、栄養士なので栄養士の資格も持っている。

 

からしたら25才でこのスペックならモテモテだろうに、

と思うのだが、もったいないことに彼女は自分のことを

「コミュ障」と表現するぐらい、

超おとなしい性格だった。

 

私が「生理的によっぽど嫌じゃなければ、とりあえず付き合ってみるとかは?」

といってみても、

「なんとも思わない人と一緒にいるのってできますか?」との返事。

そりゃそうだけど、

「まあまあ、この人ならいいかな、という人はいないんですか?」と聞いても

「私、惚れっぽくないんです」とのこと。

 

そしてさらにびっくりしたのが

「結婚をして子どもができて、

その子供が不良になったらどうしようと思うと結婚も怖い」と!

 

子どもが不良になる心配よりも先に心配しなきゃいけないことあるでしょう!

と突っ込みどころ満載の彼女なのだ。

 

私が20代の頃はどうだったかを考えてみると、私もその頃はシャイで、

彼氏がいつもいたわけでもなく、

そういえば、モテない女子同士でクリスマスにカラオケに行ってたことを思い出す。

 

そして最近思うのが、現在50代の私のコミュ力を持って、25歳に戻れたなら、

私、めちゃめちゃモテてるだろうなぁということ。

物おじせずに、ガンガン好みの男性に声をかけることができる気がする。

このことを同年代にいったら共感された一方、

「でも、実際にそうなったら、経験を積んでいない若造は頼りにならなくて、

付き合ったら幻滅するかもね」という話で盛り上がった。

 

 自分に「コミュ力」というか「おばちゃん力」がついたのも、

いろんな経験をして、時には傷ついて、立ち直って、またトライして・・・

そんなトライ&エラー、試行錯誤した結果、

無敵な私(まだまだ傷つくことあるけど)ができてきたのだと思う。

なので、頭で考えてばかりで行動しないのではなく、

ぜひ若いうちにいろんなことにチャレンジして、

失敗(というか学び)を増やしていってくれたらなぁと

栄養士さんにも、うちの娘にも、これを読んでくれているみなさんにも

声を大にして伝えたい!

 

経験は宝ですよ!

人との別れが悲しい

人との別れが悲しい

この世に変わらないものはない



わたしは保育園で調理補助のパートをしている。

 

普通どんな仕事でも最初の3ヶ月は苦しい。

新しい人間関係。新しい仕事。

OL時代も、同じ社内でも担当部署が変わると3ヶ月はとても苦しかった。

でも、だいたい3ヶ月もするとなんとか慣れた。

(クレイジーな上司、いじわるな同僚だとそうもいかないこともあるけれど)

だから今回も3ヶ月頑張ればなんとかなるだろうと思って頑張っていた。

 

ところが、

わたしの職場独特なのか、保育園の調理補助はどこでもそうなのかわからないが

その日によって任される仕事が違うので、その日に経験したことが

次の日にやらなかったりする。

たとえばうちの園では、

「野菜や肉の下処理担当」

「おやつを用意する担当」

「調味料をはかる担当」

に分けられている。その仕事を朝担当すると、

その後一日の動きが変わってくるのだ。

加えて毎日変わる献立。

わたしは「3ヶ月の辛抱だから」と頑張ってきたが、

3ヶ月経ってもなかなか慣れないでいた。

これはわたしがオババで覚えが悪いから?それともここのシステムのせい?

毎日その日の注意事項をノートに書いておさらいしながら

必死に耐えてきた。

 

6ヶ月が経った頃、注意されることも少なくなり

パートのメンバーの人間関係も良好になっていた。

わたしはこのままずっとこのメンバーで楽しくいけるのだろうと思っていた。

 

ところが、(ところが が多い・・)

ある日、パートの時給で週5働いてくれる人が見つかったから

会社が今いる派遣のAさんを解雇するかもしれないとい噂が流れた。

 

わたしは(今のこの良好な人間関係がなくなるなんて!

安く使えるからって派遣を切るなんて!)と

めちゃめちゃ人生の無常観を感じていた。

 

結局どうなったのかというと

派遣の人は社員に昇格して残れることになり、

新しいパートの人も入ることになった。

 

新しいパートの人の存在で、派遣の人が切られるかもしれないという情報のせいで

わたしは勝手に新しいパートの人なんて入ってこなければいいのに

と思っていた。

ずっと今のこのメンバーで仕事ができればいいのに・・・と思っていた。

 

そして月日は流れた。

 

今では わたしが入ってこなければいいのに・・と思っていた

新しいパートの人がわたしにとって一番の理解者となっていた。

 

新しく入った人は、職場でそれまで何も不思議に思わず行っていたやり方に

「こうした方がいいのでは?」優しく提案をしてくれる人だった。

わたしも入りたての頃は(このやり方 ムダじゃない?)と思っていたことも、

いつのまにかそれが変えられない当たり前の作業としてやり続けていた。

それが、その新しいパートさんのおかげで変えていこうという雰囲気になった。

わたしはそんなその人が大好きになった。

(最初は入ってこなければいいのにと、会ったこともない人に対して思っていたのに)

 

こうして

今の職場の人間関係はいいなぁ・・・と思って毎日を過ごし

一年程がたった今。

 

なんと今日、わたしの大好きなパートさんが引っ越しのため

職場を辞めるとのこと。

 

「えっ うそでしょ!なんとかならないの?」

 

ご主人の転勤のため、やむを得ないらしい。

 

「人生で変わらないものはない」

人生は「諸行無常

と、そういえば20代の頃、50代の人に言われたのを思い出した。

 

50代になっても別れは悲しい。

 

そしてこれからも、もっと悲しい別れはやってくるだろう。(親とか夫とか)

 

同僚ごときでこんなに悲しんでいては これからどうするわたし!?

 

それでも

新しいパートが入るのは嫌だといっていたその人が一番の同僚になったように

 

またきっと新しいことには いいことがあるのかもしれない。

 

別れを恐れず、変化を恐れず、前を向いて歩いていきたい。

 

そう思った一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぺごぱ」思考法

みなさんは「ぺごぱ」という2人組の漫才師を知っていますか?

「ぺごぱ」は韓国語のパゴッパー(お腹がすいた)から取った名前らしく

テレビでどうしてその名前にしたかの由来を話していたけど、忘れてしまいました。

 

名前もユニークですが、

私は奇抜なメイクの松陰寺くんのツッコミが最近気になって仕方ありません。

 

ご存じの方が多いと思うのでここでは詳しく説明しませんが、

彼のツッコミは、すべて肯定的!

 

そこで思ったのです「そうだ!これからはイライラするようなことがあったら、

すべて松陰寺くんのように自分で自分にツッコミを入れてみてはどうだろう!」と

 

例えば、今日、本当にあったことだけど、

なぜだか電車内がずっとチンチンうるさい。こんなとき

松陰寺くんなら「電車がうるさい?それは・・・」

 

「安全の為に必要なんだろう」とか

 

上司に不当なことで注意されてイライラしたら

「なんて不当なことを・・・」 

 

「それは彼も会議前でイライラしてたんだろう」とか

 

ぺごぱの松陰寺くん流に自分にツッコミを入れると、

たいていの事は気にならなくなってくる

 

起こった出来事はニュートラル。

それをどう解釈するかで気分は違ってくる

 

ぜひ、みんなも「ぺごぱ思考法」試してみてねん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介

「50のオババだから思うこと」というタイトルでブログを書いていこうと

思っている久本です。

若い頃から自己啓発本、ビジネス書、精神論を読むのが大好きな50代主婦です。

これから日々の気づきをブログで書いていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします!